« 植物エネルギー 第128話 ~富士フィルムフォトサロン札幌~ | トップページ | 植物エネルギー 第130話 ~漢方 五臓の「気」とは・・ ~ »

2007年12月 1日 (土)

植物エネルギー 第129話 ~漢方 「気」とは・・ ~

 昨晩は大学にお泊りでした。原稿の執筆、写真展の準備、セッケンの研究と経営、講義などなど・・・自分で巻いた種とはいえ、中々手ごわい。が、「このくらいやれて当たり前」くらいな気持ちでやってます(笑)。

 さて一段落つきましたので、かねてからブログ上に載せたいと思っていた漢方の一番の基礎にして最も大切な「気」のお話をします。私のブログに何回も出てきますが、「気」って一体なんだ?って思われた方もいたのではないかと思います。

 先ず、日本人というのは世界中で最も「気」を大切にしてきた、そして、人、自然の「気」を読む能力に優れた民族なんです。

 証拠をお見せしましょう。

Photo

 まあざっと思いつくままに並べてもこんなに「気」のつく文字があります。

中でも・・・

Photo_2

これが一番頻繁に使われるし、気になる言葉でしょう。漢方での元気、病気についてまとめてみました。

Photo_4

 「気」とは、その人の心のエネルギーと考えても良いでしょう。で、その人一日の心のエネルギー量を100とすると・・・毎日一生懸命生きれば生きるほど・・・「気」の量が減小します。レッドゾーンが増えます。「気を使う」、「気にする」、「根気がなくなる」・・・。嫌な人に会う、嫌な目に合う、落ち込む・・・一生懸命に生きれば生きるほどこれらの数も増え続けます。でもこれはその時一生懸命生きた証でもありますから、自分でそれを褒めましょう。その減った「気」、心のエネルギーを元に戻すことが元気なんです。元に戻す方法は人によって異なります。レコードを聞く、写真を見る、お風呂に入る・・・etc・・それはあなた自身しか知らないということです。自分が何をすれば感動するのかは本人しか知らない!人の受け売りでは本当にの意味で心が元気になるとは思えません。で、これを何年も放置しておくと・・・レッドゾーンがどんどん増えて・・・気の病・・・症状が体に現れる・・・これが病気ということです。その代わり、何もしないで、それこそ一世代代前の日本人の常識だった「見猿、言わざ猿、聞か猿」・・・言い換えれば、「自分に都合の悪いことは見て見ぬふりする、自分の心の叫びを言葉にしない、自分に都合の悪いことは聞かなかったことにする」という常識では今の時代、自分オリジナルの感動に出会うチャンスは減るでしょうし、「何のために生きる?」この素朴な問いに答えることはできないでしょう。

 「一生懸命生きれば、疲れる」これは当たり前」。前向きに生きている証拠です。だから、自分の心にウソをついて生きている人からは足を引っ張られたり、悪口をいわれたり、イジメられたりするのです。それはあなたのことがうらやましいから。まぶしいからに相違ありません。世の中の人全てが光を見ているのではないのです。漢方の基本、は万物全てに対する共通の理(ことわり)なのです。人間も例外ではありません。光を求める人があれば闇を求める人もいる。心が日本海溝の底にある人もいれば、天空の城ラピュタにいる人もいるのです。心が日本海溝の底にいる人にとってはチョウチンアンコウの光が太陽に見えるかもしれない。たぶんこれは事実です。そして、光を求める人の心の中にも闇はあるし、闇を求める人の中にも光は残っている。そうは思えませんか?闇を滅することなど誰にもできない。光が多くなれば闇はどんどん小さくなる。そう考えます。もしあなたから見て、ちょっと(相当)イケテナイ人が自分の近くにいても「自分のために一生懸命生きる」。それは輝くこと闇いが小さくなることと等しい輝きが増せば増すほど、闇は暴れます。あきらめないこと」。これが一番です。中々難しいことかも知れませんが、これを続けていけば、決して地球からは見捨てられたりはしなし、心が闇に住む人たちが一生味わうことのできない感動を神様=地球からプレゼントしてもらえると思います。人間の・・・あなたの身近な所にどのくらいの割合でいるのか考えてみませんか?見分け方は簡単です。会社、学校・・・その人が居る、生活している場の主人公(学校では学生、商いをしている所では一番買ってくれる人、病院なら患者さん・・・、農家なら農作物・・・、漁業なら・・・地球の恵みである魚介類・・・etc・・)をどれだけ愛しているのかで判断できます。先ず、自分がかつて実践してもいないことを人に命令する。これは愛とはかけ離れていますね(笑)。そして、自分よりも優れているモノ、すばらしいモノが見えたなら「すばらしい!」、「素敵だ!」と呟(つぶや)ける。こんな人は愛があると思います。決して「すごい!」という言葉ではありません。「すごい!」の裏返しにある感情は「自分にはできない」ということではないですか?「すごい」という言葉を投げかけられたモノ、人はどういう感情で受け取るのでしょうね。少なくとも私はあまりうれしくはないです。「素敵ですね、すばらしいですね」に対しては「ありがとう」と自然に応えますが・・・「すごいですね」に対すしては何も言葉は見つかりません。何故か悲しくはなります。それから、「私にできることは○○しか無い!」と大きな声で言う人。私には「私は色々やれるはずだか、○○しかやらない!」そう聞こえ、悲しくなります。本当に○○しか出来ないのでしょうかね。今の時代、色々やれることはあると思うのですが・・・。かく言う私も13年前には「私には有機化学しか無い!」と大きな声で人に言ってたものです(笑)。今は「有機化学だってやれたサ、植物だって、写真だって、漢方だって、真の研究だって・・・なんだってやれるのかもしれない。まだまだ色々な事がやれるかもしれない!」。そう思っています。一つの事にしがみつこうとするのも、それも愛の一つかもしれません。ですが・・・しがみつけばつくほど、心が寂しくなっていく人が数多くいることも事実でしょう。こだわる心を別の方向へ向けてくれる力。これも誰かの何かの愛。そう思えます。私にとっては・・・有機化学をやめると決めて、一番最初に出会ったオオカメノキという植物でした。オオカメノキという植物はなんの薬効も知られてはいませんが、今は一年中、あり得ないくらいすばらしいプレゼントを私にくれます。

 愛ある人は先ず自分で実践して、自分が「これなら行ける」と感じてから、人に・・・命令するのではなく、勧めるのです。押し付けることなく。愛とは人におせっかいすることではありませんよ。それから、地球はいつも進化しているのに「今までどおり」と言う人。これは全く地球が毎日変化していることを知らない、地球を愛していない不勉強な人ですね。

 愛するということは、自分の愛する人、モノ、考え方を信じて、毎日を一生懸命生きて、相手を信じて待つことです。自分も前に進みながら・・・。きっと・・・・。もちろん私もまだまだ修行が必要ですから、勉強して実践して、自分の気をどんどん高めて、言葉を使わなくても何かが自然に伝わる「気」を身につける修行を続けたいと思っています。私自身の心の中に、たぶん生まれた時から存在する地球にとって理想的な人間にどこまで近づけるか・・・自分自身との勝負です。もちろん道のりはまだまだ遠いのですけれども・・・。ひょっとしたら、今世ではできなくても、今世でクリアーすべき課題をちゃんとこなして、来世はまた次の課題をクリアー・・・というように何回も生まれ変わって到達することなのかもしれない。とも思い始めています。その人の魂はエンドレスに磨かれていくのかもしれませんね。

 私が北海道の大地に還るその直前に何を思うのか・・・「一生懸命生きた!」と言えれば私は最高で、これに勝る幸せは無い!そう思っているのですが・・・

 「人は皆同じ!」ここがスタートラインだと、自分が素敵になるために、何が必要で何が不必要なのか分からなくなってしまいます。漢方では少なくとものタイプではその行動パターンも思考パターンは全く異なります。両方を同じ人間ということを基準にすると、諍(いさか)い事は無くならないし、お互いが分かり合えることなど永遠に無い。

 それから、地球上の皆がそれぞれに一生懸命に生きているのかもしれない。というように思ってる人。それを確かめたことがありますか?あなたと同じレベルでの一生懸命ということをどう確かめているのですか?その場合、相手の言葉はあまり意味をなしません。言葉だけを信じるのはやはり自分を偽っていることになるかもしれない。だって言葉の多くは自分の行動を正当化するために使われるのですから・・・。例えば「フツウだったらさ・・・」これっていったい何語ですか?誰にとってのフツウなのですか?豚さんだって一所懸命生きてます。人間に食べられることなど知らずに・・・。豚さんのフツウ「人間に食べられるのに、その人間が出されたものを腹いっぱいに一生懸命食べる」ということなのですが・・・

 何が素敵なのかは一人一人違うはずです。「フツウ」っていったい何でしょうね?皆で考えてみませんか?「皆一緒、皆同じ」という概念は、「食う」ためだけに生きていた赤貧時代のフツウ考え方です。でも、モノが豊かな時代のフツウは人それぞれが「独立」することなのではないかと思います。「皆一緒」という言葉は時に依存の関係の温床になるのではないでしょうか。一生懸命生きた者同士ならすぐに誰が一生懸命に生きているかの「気」を感じることは容易です。一生懸命生きた人同士ならお互いに認め合い、自分にできないことを対等の関係で委ねることも可能になると思います。いかがでしょう?

 モノが豊かな時代に生きることのできる私たちの一番の特権は「考える」ということではないでしょうか。何を考えるのか・・・それは皆さんで決めてください。これも受け売りではいけません。昔の貴族や大富豪以上に「食えて、住めて、着る」ことができる時代でなければできないことです。それなのに「食えなくなったら、住めなくなったら、着ることができなくなったら・・・」みたいなことばかり考えていては、気のめぐりは悪くなって、心の病になるのは必然!そう思います。

 母なる地球から命をさずかった、知恵ある人類としては、そんな常識では相当いけてない生物になり下がってしまいます。もうこの事に気づいている人もかなりいると思います。私のブログの常連さんは皆そうだと思っています。この一昔前までの考え方は食料事情が超貧しく、「食う」ためだけに生きていた日本人の常識としてはしょうがないことだったのでしょう。ですが、今は、昔に比べると、ありえないほど贅沢な食、衣、住環境なのではないですか?もちろん贅沢をしようとすれば際限なく上はあるでしょう。ですが・・・地球という、ある限られた空間に住む以上、自ずと限界はあるはずです。地球に住む人間全てが再現ないモノの豊かさを求め続けたら・・・いったいどういうことになるのでしょうね。もう日本人の多くの人は気づき初めているはずです。だって、日本人って世界で一番心優しく、想像力豊かで、賢い民族ですから・・・。

 「食べる」ということは口から感動、「気」を取り入れることです。私たちは、もうすでに昔の貴族以上の食を毎日口から取り入れているのです。ということは、身体の中に前に進もうとする素敵なエネルギーが毎日湧き上がってきているということです。なのに、何のために生きるのかを考えようとしない、分からない・・・では、その溜まったエネルギーの行き場がなくなって身体の中に溜まって、邪気に変化していく。そうは思いませんか?そして、西洋医学的な色々な病気になっていく。こう考えます。まとめると、昔よりもはるかに豪華で素敵なものを食べる毎日素敵な心のエネルギー、「気」が湧き上がるそれを感じない、「食う」ために生きていた時代の考え方で生きるステキな「気」は、よどんで邪気に変わる長年それを続けていると気の病になって、西洋医学的な色々な病気を引き起こす。

 人類が悪意なく、そして際限なく「もし食えなくなったら、住めなくなったら、着ることができなくなったら・・・」 という考え方で進んできたからこそ科学的には証明するまでもない絶対真理「地球上から植物がいなくなったら全ての生命体は絶滅する」ということを忘れかけてしまっているのではないでしょうか。そう考えると、地球上に生きる全ての植物(果物、穀類、野菜、薬用植物、山野草、雑草にいたるまで)たちが、人間の全てのものを生かす生命エネルギー源と考えることができます。

 いくら、地球規模で大きな事を考え、ブログに思いを載せても、私にできることはわずかです。45歳ころまでは、本当に数多くの色々な人に分かってもらおうと一生懸命でした。ですが、それよりも身近な所に私がやれることに気がついてしまいました。気づいてしまった以上、何かをしたい。そう思って4年前に私の学生に写真の撮影の仕方を教えてもらい、私の愛する北海道医療大学・北方系生態観察園の植物たちの芽だしから枯れるまでの撮影を始めたのです。この4年間、素敵な漢方医に師事し漢方の勉強も一生懸命してきました。そして今、病気予防には「人間一人一人が自分が生きるための感動をたくさん持つ」、言い換えれば、「その人オリジナルの心のくすりを自分自身で調合する」ことが一番大切なことだと確信しています。私にとっては植物全てが心のくすりです。先ずは、皆さんに身近な植物のすばらしさを気づいて欲しい!そう思って北海道の素敵な植物たちの姿をフィルムに残しています。身近な植物たち=素敵な「気」に感動する人が増え続けたら・・・何かが変わる。そう思ってます。だって、宗教や育った国や地域、環境が違ったって「植物は嫌い!、憎い!」と大きな声で言える人の数は限りなくゼロに近いでしょうから・・・人はいつも素敵な何かを求めているように思えます。

再度、「気」とはいったいなんでしょうね。「気」下の図に簡単にまとめてみました。

Photo_3

 「気」とは全ての臓器、感情の動きを司る根源的なエネルギーにして目には見えないモノということです。未来永劫科学では証明できないことです。だって、人の感情、体調、感覚・・・なんて秒単位で変わるものですよね。普段バリバリに元気そうな人が病院の玄関に入っただけでも体調が悪くなる人だってフツウにいます。

 先天の気は親から受け継がれるもの。

 後天の気は生まれた後、自分で能動的に獲得していくもの。です。

 鼻からは「天空の気」、口からは「大地の気(水穀の気)」を取り入れます。

 天空の気とはキレイな空気、素敵な香り・・・、大地の気とは食事、水・・・のことと考えても差し支えありません。だから、木々たちのたくさんある山、森へ出かけると、鼻から植物たちの発散する聖なる気が入ってくるし、前向きな農家の作った農作物、前向き漁師の獲った魚介類、それも旬のものを口から取り入れると、元気になるのです。これも「気のめぐり」です。

 今、日本人に求められているのは自分オリジナルの心のくすり生きる感動、ではないかと思います。

|

« 植物エネルギー 第128話 ~富士フィルムフォトサロン札幌~ | トップページ | 植物エネルギー 第130話 ~漢方 五臓の「気」とは・・ ~ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 植物エネルギー 第129話 ~漢方 「気」とは・・ ~:

« 植物エネルギー 第128話 ~富士フィルムフォトサロン札幌~ | トップページ | 植物エネルギー 第130話 ~漢方 五臓の「気」とは・・ ~ »