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2008年9月24日 (水)

植物エネルギー 第239話 ~自分に自信を持つ、自分を愛する方法 その2~

 さて、自分でもなかなか難しいテーマについて書こうとしています。『自分に自信を持つ方法』、『自分を愛する方法』・・・やはり・・・簡単ではないですね。私の思いがちゃんと伝わっているか・・・かなり自信がありませんが・・・今日も書いてみます。

 人は、地球に生を受けてちゃんと生きていることの存在を誰かに認められなければ、生きている自信など持ちようがないのではないかと思うのです。

 少しだけ「神様」のお話をしましょう。その昔、人間にとって「神様」が、身分、貧富の差に関係なくその存在を認めてくれる唯一のものだったのです。

 食料事情が貧しく、衛生事情も悪く、戦争、地震、台風、洪水などの自然の脅威に対して、なすがままの時代・・・日本で言えば・・・日本の歴史が始まってから太平洋戦争が終わって(1945年、昭和20年)から、さらに10年後(1955年、昭和30年)まではそんな状況だったのではないでしょうか。そうです、ほんの53年前までは、ごく一部の人を除いては、言い方はかなり極端かもしれませんが・・・赤貧国家だったんです。「なんのために地球に生を受けたのか」などということなど思いもつかない、思うことすら許されない時代だったんです。「お国のために死ぬこと」もそれまでの時代の「何のために生きる」かの大きな理由の1つだったはずです。子供を生むことだって「お国のため」でしたよね。本来「お国のために生きる」とは「一人一人の人間が地球のためにステキに生きる」ことのはずです。だから、53年前までの日本は「ただ生きる」=「食うため」に多くの人は生きていたのではないでしょうか。それは・・・ある意味、地球に生きる人間以外の鳥や獣・・・etc・・・など他の有機生命体とあまり変わりのない生き方ではないかと思うのです。「ただ子孫を残す」、「人間の種を残す」という自分の遺伝子情報に基づいて生きていたのかもしれません。ただ黙って生きていては、自分の遺伝子が絶えてしまうから・・・たくさん子供を作る。それは。これも極端かもしれませんが・・・本来の「愛すること」からは相当距離があるように思えます。貧乏でたくさん家族が生きていくことなど不可能だと分かっていても子供をたくさん作る。現代の私たちではあまり主流になれない考え方ではないでしょうか。潜在的に「自分の遺伝子が絶えてしまうかもしれない」=「死ぬ」ことに対する恐怖を大前提として生きていたのです。先にお話した通り、昔の人の周辺には、いつも「死」を与える潜在的脅威がいつもあったんです。

 でも・・・人間はそれでも地球に生を受けたことを誰かに認められたくて「神様」の存在を無意識に心の中に作り出したのではないでしょうか。いや・・・ひょっとすると神様は本当にいるのかもしれません。これが、人間の最もすばらしいことだと私は思います。

 キリスト教、イスラム教・・・だって事の始まりは人々が地球に生を受けた意味を認めてもらいたために生まれた。とも考えられます。貧富の差に関係なくその存在を認めてくれるもの・・・それが神様です。日本人はすばらしいんですよ。だって、八百万の神様がちゃんといるんですよ。八百万ですよ。貧しい時代にでもたくさんの神様がいたんです。世界で一番自然豊かな日本には、生きている意味を教えてくれる自然がたくさんあったのでしょうね。

 現代にお話を戻しましょう。お金を出せばなんでも手に入りそうだと錯覚しているのが現代。愛さえも、心の豊かささえも・・・。誰もが明日「死ぬ」ことなど想像もしていない現代。これってどうなんでしょうね。先にお話をした時代は明日「死ぬ」かもしれないと思うのが当たり前、今日「生きている」=明日「死ぬ」なんて思いすらできないのが当たり前の時代とは180度異なる時代、空間に私たちは生きているはずです。これは私の考えです。違うとい言う方もいらっしゃるでしょう。でも・・・ここをもう一度ご自分で考えてみてください。生きる」のが当たり前という大前提では・・・自分の心の中に「神様」は本当に宿るのでしょうか?あまつさえ、多くの人間が過ぎたる欲さえ持たなければ、多くの人が戦争や病気、自然の脅威から守られ、人類が等しく生きていくことが可能な時代になっているのに・・・何故・・・戦争が起こり、犯罪が起こり、親子殺人が起こり・・・何故なのでしょうね。本当何故なのでしょう?皆さんぜひ考えてください。私には『人間の過ぎたる欲』。これこそが究極の邪悪としか思えません。たくさんたくさん北海道の植物たちのすばらしさをブログ上でお伝えしてきました。『地球の元気』『地球上に生きる全ての植物たち』のことです。これは絶対正しいことです。地球の植物が減る=地球が病気になっているということです。病気の地球に元気な人間が宿ると思いますか? 私はそうは思えません。地球を病気にしている根源は人間の『過ぎたる欲』だということに気づく時が来ている時代だと思いませんか?モノが豊かになって、物質的に満たされ、それが当たり前になった瞬間に人の心の中の「神様」はいなくなってしまうのではないですか?

 私のブログを読んでくださっているあなた。あなたの心の中には「神様」は何人いますか?

 北大薬学部時代の15年半、私の心の中には「有機化学」という神様が一人だけいました。たった一人だけ・・・。だって、寝る時間さえ削り、実験室で毒を吸いながら(当時の実験室は・・・天井はアスベスト、実験室の中の排気装置は稼動せず、今思えばそこで15年半いて、生きていたことすら驚きです)、生命を削りながら、無我夢中でやっていたら、当時の私から見たら天井人(当時は相当自己評価が低かったのです)のような、東大、京都大学、ハーバード大学の著名な学者先生たちから誉められました。「君は東日本学園大学出身なんだってね。大学時代相当勉強したんだろ。すごいね。頑張れ」。当時の東日本学園大学・薬学部は偏差値は下から2番目。学歴社会の中ではその名さえ知らない人がほとんだった時代のお話です。私は、今思えば恥ずかしいのですが、「うれしかった」。「天にも昇る気持ち」でした。「頑張ったかいがあった」。心からそう思ったものです。北大薬学部歴史上初めて大学院修士課程1年目でハーバード大学化学科に留学もしました・・・・。でも・・・今思えば・・・ここが落とし穴のはじまりだったんです。有機化学だけが私の「神様」になってしまった瞬間でもあったんですね(笑)。今思えば・・・人に「誉められたくて」本来キライなことを一番スキなこととして自分で暗示をかけて、有機化学の修行をしていたのです。

 また私のお話になってしまいました。スミマセン。

 今の私には心の中に無数の「神様」がいます。植物たちです。野菜、果物、お米、麦、山野草、森の木々たち全てが私の「神様」になってしまいました。たとえば私の大好きなエゾエンゴサクさん。1000株のエゾエンゴサクさんがいたら・・・その1000株全てが私の「神様」なんで・・・私の心の中に宿っている「神様」の数って無数なんです。色々なエゾエンゴサクさんの画像はこちらデス。

 「堀田は何のために生きている」という問いに・・・「誉められたいから」=「自分の周りにいた人たちの心からの笑顔」とすぐに言うことができます。あなたは「何のために生きているのですか」。この問いになんて答えるのでしょう(笑)。ぜひお聞かせください。人は何か一生懸命にやったら、誰かに、何かに、誉めてもらいたいのではないですか?「誉めてもらう」とは何も言葉で言ってもらうことだけではないでのす。自分が一生懸命やったことで、周囲にいる人たちの心からの笑顔があれば・・・それが最高に自分の行った行為に対するご褒美になると思うのですが・・・。何も「先生のおかげで・・・ありがとうございました」っていう誉め言葉は・・・私にとっての一番のご褒美にはなりません。1回だけで結構。なにより私の言ったこと、行ったことをきっかけに何かその人がニコニコしながら前に進んでくれること。それが一番のご褒美です。だって『その人がニコニコしながら前向きに進む』『地球が元気を取り戻すこと』に他ならないからです。

 今の私は・・・『私の大好きな地球、北海道に誉められたい』それが・・・『何のために生きる』のかの答えです。皆さん・・・冒頭でお話したように、今の日本はもはや、53年前までの赤貧国家ではないのです。「過ぎたる欲」=「自分さえよければあとは見て見ないふりをする」さえ無くなれば、誰でもが笑顔で生きられる可能性のある、日本の歴史始まって以来、初めての時代なんです。自分の心の中にどうしたらステキなたくさんの神様が宿るのか・・・考えることの唯一の時代かもしれません。どうしたら「ステキに生きることができるのか」・・・自分で答えを見つけなければ心が病気になってしまう。私はそう思っています。

 次回は「誉める」。この事についてかなり掘り下げてみたいと思います。

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