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2009年3月 3日 (火)

植物エネルギー 第322話 ~ 回想・・・50年間・・~

 東京での写真展から一週間が過ぎました。気力、体力ともようやく80%まで回復してきました。この2日間、辛いカレーばかりを5食続けて食べてます。こんなことは初めてです。相当肺の「気」が落ちている証拠です。東京にいるときは全く感じなかったのに・・・、これが本当に「気」が抜ける・・・なのですね。

 さて、今日から私は51歳です。今朝5時に家を出て大学までの50分間、色々なものが頭の中に去来しました。思ったままを言葉してみます。

 そう言えば、子供のころは無邪気に父親がヒーローで母親が女神さまだと信じて疑ったことなどなかった。大人は全て、仙人のごとく勤勉で人を疑うことなどなく地球、人類のために争いごとの無い世界をつくるために生きているんだと信じていた。心からそう思っていた。だから・・・自分も賢くならなければ・・・などと無邪気に思っていたなあ。でも・・・いつのころからかしら、そう思えなくなったのは・・・。戦争って何故起こるんだって、差別って何故起こるんだって、いつも思ってた。人間は賢いはずなのに、人が人を傷つけるなんて何故?学校の先生も親もいつも言っていた。ウソはつくな!正直に誠実に生きろ!ウソつきは泥棒の始まりだ・・・・とも・・・。ヒーローだった父親、女神だった母親、仙人だった大人の言葉をただ信じて生きようとしただけなのに・・・。いや、今もそう生きようとしている。だから・・・これまでの人生は疑問、謎、理不尽・・・が無数に私の心の中に芽生えていたのかもしれない。でも今はその全ての答えが出せそうな自分がうれしい。

 その答えとは・・・実に簡単だった。いや・・・言い直そう。一番難しいことかもしれない。

 もし地球に生きる全ての人が地上に生を受け、ただ生きているだけですばらしいと思うことができれば、そのことが、生きる自信であり、自分を愛することなのだろう。ただ生きているだけすばらしいと思えるならば、それは自分を愛していることと等価であり、自分を愛することができれば、それは生きる自信といえるはずだ。そう思う。

 はたと考えてみる。人は何に対して、怒り、憤り、悲しみ、惑い、遣る瀬無さ、不安、空しさなる負の感情を持つのかしら。そして喜び、嬉しさとはどこから湧き出る感情なのだろうか。かつての私もそうだった。余すことなく、誰よりもこれらの負の感情全てと共に毎日を送っていた。怒りや憤りに支配され、呪いの言葉を発し、日本海溝よりも深い悲しみに体の水分がなくなるかと思うほどの涙を流し、最後にやってくる虚無に言葉を発することもできずに、何時間も微動だにできずにいる私もたくさんいた。心から湧き上がってくる全ての負の感情は・・・恐らく、人に対するものなのではないか・・・と今なら理解できる。人は皆、自分の常識の上に他の人を判断している。そして・・・「こうなって欲しい、ああなって欲しい、こんなんだったら良いのになあ・・・etc・・・」自分の理想はそれぞれにあるはず。自分の欲求、理想を自分以外の他者に求めるから・・・そうでなかった時に負の感情が芽生えてしまう。

 では何故、自分の理想、欲求を他の人の求めるのか?例えば、親がかつて自分がやろうとしてできなかったことや、こうなったらステキだったのに、幸せだったろうになあという生き方を自分の子供に強いる。子供は・・・ヒーローである父親、女神様である母親の言うことに抗うことはできない。両親を愛そうとするがゆえに、両親の喜ぶ笑顔のために頑張る。その過程で様々な負の感情が芽生えていくのではないかしら・・・そこには・・・自分が本来魂レベルでやりたいことがあるはずなのに、それを押し殺して生きていくことになるのだから・・・。などなど・・・良く周りを見渡すと、具体的な例えは身近なところにたくさんあった・・・。

  ここまでは、3年ほど前の私でもたどり着けることのできた答えだったが、では、何故人は自分の想い、理想とする生き方、幸せ感を他者に強いるのだろう。この設問に対して私が納得いく説明できるまでには、その後、3年も要してしまった。今の時点でも十分ではないのではないかと思うが・・・恐らく・・・誰もが、地球に生を受け、生きているだけで幸せだと思えないから、生きているだけですばらしいと思えないからだということではないだろうか。

 現時点で私が納得している答えとは・・・それは・・・「自信が無い!」の一言に尽きるのではないだろうか。毎日ご飯を食べ、なにげない会話をして、テレビを見て笑って、お風呂に入って寝る。これって、それだけですばらしいことだと今の私なら心からそう思える。

 では、負の感情!それがいけないことなのか?と聞かれれば、「それはすばらしいこと」と今の私には思える。かくいう私も、今の私から見ると、つい6年前までは45年間ほど負の感情の中、闇の世界に生きていたのだと思う。

 物心がついたころから、17歳まで、自分に自信がないから、自分をステキだと思える自分はどこにもいなかったように思える。ただ漫然とテレビを見て、ただ笑っている私、自分のやりたいこと、思ったことを言葉に発することができず親のいいなりになっている私、親に「それは違うよ」と言えなかった私、親に言えないくせに、それを弟にぶつけていた私、子供ころ、仲間はずれにされながらも卑屈な笑いを発しながら仲良くしようとしていた私、受験勉強の意味を理解できず、ただただ無為に時間を過ごし、受験に失敗して志望する学問をすることのできなかった私、この人は私を分かってくれる人だと直感で分かっていながらも、それを信じ、貫き通せずいた私・・・etc・・・今思うと・・・どこにも自分が地上に生を受けて、それだけでうれしいと思える私はどこにもいなかった・・・。だから、18歳から・・・とにかく自分がステキになるにはどうしたら良いのかを知る旅を始めた。「私はこんなものさ、大したことは無いのさ。所詮・・・なんだ!」とつぶやきながらも、最後に発する言葉は・・・「でも頑張ろう!」だった。何もよい所がない私でも1つくらいは私自身が自分のことを「よく頑張ったね。お前は何のとりえもないけど、ただ頑張ったよ!誰よりも一生懸命やったよ!」って自分で自分ことを褒めてあげてから地球の土に還りたい。そう18歳のときに思った。何を始めたら良いのか何も分からなかったけど・・・先ずは・・・「もう逃げない!」とだけ決めた。

 先ずは・・・受験勉強に意味を見出せないと屁理屈を言って・・・結果、自分の志望大学に入れず・・・当時は全国で一番最低レベルの大学(東日本学園大学薬学部)にしか入れなかった自分を変えるために、勉強から逃げた私を変えるために、一日8時間は絶対勉強しようと決め、大学受験の参考書やら問題集やらを引っ張り出して、化学、数学、物理・・・とにかくやった。誰も教えてはくれないから、何もわからず、悔しくて涙を泣かしながら、歯を食いしばってやった。自分の決めたことから逃げることはもうこりごりだったから・・・ただ毎日やった。意味など考える時間など無いほどやった・・・・そして・・・今も・・・8時間はできないが、毎日毎日何かを学んでいる自分がいる。何かを自分で「やる」と決めたら、何があっても絶対にやりぬくことが人にとっての最大の勇気であり、元気の種なのだろう・・・と今なら分かる。言葉ではなく体の細胞レベルで分かっている。

 気がつけば・・・18歳のころから51歳の今まで、私の睡眠時間は4時間以下がフツウになっている。朝4時半になるとどんなに遅く寝ても目が覚める体質になっていた。

 なので・・・18歳のころから私に勇気と理想の世界を見せてくれるテレビ(かつては、ガンダム、宇宙戦艦・・・・)以外は今でもほとんどテレビを見たことがない。特にこの6年間は一週間で1時間も見てはいない。あっ、昨年は見たかしら。「篤姫」はよかった!

 話を元に戻そう。大学4年間、とにかく色々な専門書や、それまでの人生で疑問に思ったことを解決するため、自分は何者かを理解するために様々のジャンルの本を読み漁ったものだ。今思えば・・・年間200冊は下らなかったろう。ただ無我夢中にむさぼるように読んだ。今の私から見ると、実に無邪気で、稚拙でオバカで、愚かだった私がいる。

 心のエネルギー全てを開放状態でやっていると、客観的に自分見ることができなくなるなんて、その当時は思いもしなかった・・・挙句・・・「まだまだこんなんじゃまだ全然足りない。」と焦りにも似た感情と自分を責める感情が湧き上がって・・・「これで本当に良いのか?このままで私は自分のことをステキだと思える日が来るのか?」と逆に自分に対する猜疑心さえ芽生えてくることに・・・・。「どこまで頑張ったら良いのか?」。当然誰も教えてくれるはずもないのだが・・・そう思わずにはいられなかった。でも・・・歩みを止めることはなかった。いや、その進む速度をどんどん加速させていった・・・いや自然に加速するイベントが起こった。

 18歳になって「自分の決めたことに、絶対もう逃げない!」と決めてから3年半後・・・大学の受験、試験勉強に対するトラウマを解消するイベントが発生してしまった。指導教官の勧めで北大薬学部と金沢大学薬学部の大学院受験をしたら・・・両方とも受かっていまった!当時は今と違い、25人ほどしか合格しなかった時代。で、トップクラスで合格していまった(このことはその後10年経ってからの聞いた)。ただただ、3年半、一番頑張って勉強した有機化学が一流大学の人たちにどこまで通用するかを知りたかった。受験を終えてからも「有機化学はそこそこやれた。でも・・・受かることなんて100%無い!」と思っていた。全く自信はなかった。合格発表の報を聞いたのは、金沢大学薬学部の大学院受験の真っ最中・・・夜、宿に親から電話がかかってきた・・・。その時の驚き(喜びではない)は今でもはっきりと覚えている。その知らせを聞いてから・・・この私が丸2日間一睡もできなかったのだから・・・・。興奮の極み!これをマックスで感じた瞬間だった。

 それ以来、51歳の今日まで・・・毎日毎日がそんな驚き(今では、感動だと思える)の連続だったように思える。

 有機化学を突き詰め、有機化学を愛し、信じていけばきっと私は自分のことをステキだと思って大地の土に還っていける。そう思った。「これしか無い」。そうも思った。そして・・・その歩むスピードは自然に加速されていくことに。その後、北大薬学部始まって以来初めて、修士1年でハーバード大学化学科に五ヶ月間留学、その後研究テーマを純粋な有機化学に変えて(故及川先生)、2年半で薬学博士号取得、北大薬学部に助手として残り、コロラド州立大学化学科に1年間二度目の留学。そしてさらに、世界レベルでの研究世界を得、世界中の一流と称される有機化学者たちとどんどん切磋琢磨していく毎日が続き、有機化学の修行は益々深くなっていった・・・。有機化学以外のことは一切見えない状態になってしまった・・・。一生懸命突き進めば進むほど、愛すれば愛するほど、私が考えてもみなかったご褒美がたくさんあった。「もういつ死んでもいいや」とさえ思えたほどだった。

 私が大学時代に一番一生懸命やった有機化学こそが私を分かってくれる唯一無二のモノに・・・なっていったのだろう。人に対して心を開くと傷つくことを知っていた私は、益々・・・有機化合物とそれを反応させるフラスコと会話をするようになっていった・・・。一生懸命「上手く反応してね」って念じると・・・必ず新しい、他の研究者の気づかない、気づくことのできない未知なる結果がそこにあった・・・そして・・・日本中の一流と称される有機化学者たちからどんどん褒められ・・・ただただうれしかった。こんなとりえの無い私でもその存在を日本でも一流の研究者から認められ、お酒を飲みながら、私の夢を聞いてくれ、それを聞いて笑顔になってくれた。本当にそれだけでうれしかった。「オレって生きててもいいんだ。誰かに認められる存在なんだ」と・・・当時、有機化学がそんな心地良い気持ちにさせてくれた初めてのモノだったと思えた・・・。「命を賭けてもいい!」本気でそう思っていた。

 今の私から見ると・・・あまりに自己評価が低い私がいた。だから・・・私自身で勝手な異次元空間、亜空間を作り出し、その中で心のエネルギーをすり減らし、命と引き換えに甘美な世界に酔っていた・・・。私は・・・死にたかったのかしら・・・。とさえ今なら思える。

 でも・・・今はちゃんと冷静に自分を振り返ってみると、もっと昔に私の存在を無条件に認めて、褒めてくれたヒトがいたことに気づいている私がいる。自分に対する自信の無さ、自己評価の低さは・・・一番大切なことさえも心の中から追いやってしまう。目の前の甘美な世界こそが全てだと思えてしまうものかもしれない。今の私の心の大きな宇宙から見ると実は・・・これも・・・「逃げている!」・・・ということになる。本来向き合わなければならないことから逃げ、切ない自分の居所を探していたに過ぎない。

 37歳。関東の有名大学の助教授や助手のオファーが多数あったが、もはや有機化学を愛せなくなっていた私がいた。しがみ付きたいけど、もはや、有機化学を愛する心のエネルギーがゼロだった・・・・。「なんでこんなふうになっちゃたんだろう」、「何故愛せなくなったっちゃたんだろう?」。「有機化学が命!」と想い、我武者羅にやってきた果てに・・・空しさ、遣る瀬無さだけが残る日々が続いた。

 そんなある日、私を「桃太郎」と呼んでいた、私が一歳の時に逝った顔さえしらない祖父が夢に出てきて言った。「清、このまま行ったら、死ぬよ!」。祖父は笑いながら去っていった。私の人生の危機には夢の中に必ず現れ、適切な助言をしてくれた祖父の言葉は重かった。有機化学を捨て、新たに薬剤師して修行する決心をし、北海道医療大学の恩師の一人に就職のお願いしたのが、また新たな始まりになろうとは・・・その時には全く思えなかった・・・。結局、私がこよなく愛していた母校に戻ることになろうとは・・・それも、有機化学ではなく、生薬という全く未知なる世界の助教授として・・・!

 生薬学の助教授。またもや私に未知なる世界がやってきた。有機化学と全く異なる世界。「どーしよう!」しかなかったのだが・・・これまでの人生と同じように「自分で決めたことから逃げない!」。で、目の前のことをヒトの3倍やっていけば大丈夫!という小さな自信はあった。

 今振り返ると・・・そんな小さな自信をくれたのが、20年間続けて有機化学を極めるために要した時間だったのかと・・・そう思う。

 医療大学に戻ってきてからさらに14年。植物たちと会話する方法を見つけながら、漢方の修行を続けた結果、その小さな自信があり得ないくらいの自信に変わった。そして・・・私の心の有り様も18歳のころに比べて、360度+180度変わった。私の感覚では、一回死んで、生まれ変わって生き直しているような気持ちにさえなる。

 将来は大自然と接するような仕事につきたかった高校までの私。そして高校3年の時に赤点をとっていた科学。それを克服し、極めるために要した20年間・・・とは、有機生命体の構成する炭素原子を理解するために使った時間だった。植物から動物まで、その構成するあらゆる有機化合物、さらには、有機生命体に役立つであろうと考えて分子設計した新規化合物まで・・・これでもかと思うくらいに、その化学構造式を体の細胞レベルまで覚え、瞬時にその科学的性質をイメージできるように修行した。昔はヒトを見ても、そのアミノ酸の全ての化学構造式とその3次元的立体構造をイメージできようにいつしかなっていた。

 一言で言えば、フツウのヒトが目で見えないものを、見えるようにするための修行だったのかもしれない。

 あれほど愛していたはずの有機化学は、今ではとても懐かしいものになった。そして・・・気がつけば・・・北海道の大自然。それも、地球の元気そのものである植物たちと大いに接し、大いに会話し、大いに理解し続けている自分がいる。「これって、子供ころに夢見た世界!」の中に生きている自分がいる。

 私が、カメラで写真を撮って、写真展を開催することになるとは・・・私自身、夢にも思わなかったこと。この感覚は、私が北海道大学薬学部の大学院入試の合格の報を聞いたときの驚きよりも何倍もすさまじい驚きだった。そして今度は驚きの後ろから、全ての細胞から湧き出すような喜び、感動がやってきた。「一生懸命やってきて本当に良かった・・・」と小さくつぶやいたら・・・涙がひとすじ零れ落ちた。

 そして・・・私が写した、植物たちの勇気と元気を見てくださって、すばらしい笑顔になってくださるヒトがたくさんいる。この事実はさらに私を前に進める元気になって私の心の中に戻ってくる。漢方で言う「良い気のめぐり」である。この14年間で、かつて私がこよなく愛した有機という言葉は勇気に置き換わった。

 そして・・・それこそ夢のまた夢であった富士フイルムフォトサロン東京での写真展が終わって思うこと・・・。北海道に息づく植物たちの勇気と元気をもっともっと伝えいけたらいいなあと思える私がいる。

 私の漢方の師匠は「1000人に一人の体質。エネルギー溢れる病」と言った。そして「溢れ出るエネルギーは前向きに生きようとする人に使ってもらってこそ、堀田先生の心も体も元気に健康になるよ」とも言ってくださった。今私は、心の底から静かにそう思っている。

 怒り、憤り、惑い、不安、遣る瀬無さ、空しさ、刹那さ・・・陰の感情とは、自分が人に対する陽の感情(信じたい、信じられたい、好きでいたい、好かれたい、愛したい、愛されたい、認めたい、認められたい、好きでいてもらいたい・・・etc・・・)の裏返しの感情なのかもしれないと思う。陰の感情もまた必要なことはもう分かり過ぎる分かったように思える。「人に対する陽の感情も消失する=陽の感情をあきらめる」ことなのかもしれない。それは・・・陰の感情を怖れるあまり、愛を失うことと等価なのかもしれない。陰の感情も愛あればこそと・・・もしも思えたなら・・・誰もが自分のことを愛することができ、そして自分に自信を持つことができるのではないかしら・・・。一見すると簡単そうで、ひょっとしたら最も困難な道なのかしら・・・・

 私は、絶対にあきらめない。だから・・・諦めた人、諦めようとしている人の何か一番心の底に残っている諦めきれない部分に触れてきのかもしれない。そう理解できるようにもなった。もう言葉で確かめたりはしないけれど・・・

 喜びの感情は、負の感情とは別のところから湧き出てくるこも知った。私が、早朝の森にに入って、私が一番輝いていると思える植物さんにカメラを向け、ファインダーを覗く時、そこに植物たちからの祝福と愛を感じる。「良く見つけてくれたねえー。あんたはすばらしい!」そう植物たちは言ってくれる。そして・・・森の植物たち全員が私を褒めてくれるように感じる一瞬がある。今では・・・ステキな植物たちを見つけようとすらしなくたった。ただ森の中に入れば、一番ステキな植物さんが声をかけてくれるのを知ってしまったから・・・。そして・・・撮影後、その植物さんに「ステキな姿を見せてくれてありがとう」と言葉を発するとき。さらなる幸せがやってくる。有機化学時代の「見えないものをあえて見えるようにする」修行は、植物たちの勇気と元気を感じることに大きな影響を与えているようにも思える。

 そして・・・私の感じた作品を見てくれた人たちが・・・どんどん元気になって前に進んでいく。それを遠くから眺め、心の中で「頑張れ!ステキだよ」と笑いながら応援してる私もまた良し!

 結局・・・ここまで来ると・・・私の人生でやってきたことは何1つ欠けても、今の自分になっていなかったと思える。

 「自分で決めたことから逃げずに毎日やり続けていく」ことが「身近な植物たちの出会いいと感動」に繋がった。その旅をこれからも、急がず、慌てず、惑わず、騒がず、怒らず、憤らず進んでいけば・・・きっとその先には、私がまだ見たことも、想像したこともないすばらしい光だけの世界があると信じることができる。それを今世で感じることができるのか、来世でないと感じることができないのか、はたまたそのまた来世なのか・・・。でも、光だけの世界は必ずある。そう信じることのできる51歳の誕生日だった。

 ながーいブログになってしまいました。その日、その時に思ったことを綴っているブログ。さてさて、来年52歳になって、今日のこのブログを読む私はどんな私になっているのでしょうね(笑)。自分の歩いた道の証拠を残す。それが仮に負の感情を伴ったとしても・・・。書いた瞬間にその感情の一応の終わりがあって・・・そして次の始まりがあると思うから・・・ただ書いています。そして・・・時間が経てば・・・その思いは色々な感情に熟成されていきます。

 今日のこのブログは私の誕生日から書き始めて、3月3日に書き終えました。途中・・・昔を振り返るたびに負、陰の感情が湧き上がって、闇の言葉しか綴れないこともありました。その度に森へ出かけ植物たちと会話することによって気持ちが陽へと進みました。

 まだまだ修行の旅は続きます。よろしかったら、たまに遊びに来てください。

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コメント

先生のお誕生日なのに、先生から素敵な贈り物をいただいてしまいました。
先日、いただいた言葉と重ねながら読みました。
今のこのタイミングで、先生の言葉と出会えて良かったです。
いろんな感情に振り回されてる自分自身のことを『生きてるだけで素敵だ』と思えるまでに、まだまだ数々の修行が必要だと思いますが‥。一歩ずつ一歩ずつ。

えりもの様子も拝見しました。
福寿草さんの鮮やかな黄色!
ワクワクしちゃいました!
7月の講座にもぜひ出席したいです。‥遠いですが。

投稿: きいろ | 2009年3月 3日 (火) 18時30分

きいろさん今晩は。
きいろさんはきいろさんに合った進み方があるはずです。植物たちと付き合っていけばきっと・・・!(笑)デス。

襟裳岬のイベントはきっとすばらしいデス。薬剤師のUmi先生も来るかもしれません。便乗という手もあります。

良いお返事、お待ちしていますよ!

投稿: 元気の種 | 2009年3月 4日 (水) 18時58分

先生、誕生日おめでとうございます!
私と誕生日が近いですね~!! 私のは8日、もうすぐです!!
誕生日は 今まで育ててくれたり支えてくれた周りの人に感謝する日だと 思ってます。先生、今年も素敵な一年でありますように。

今も楽しいし、来世も楽しみです。うふふ。

投稿: sachi | 2009年3月 5日 (木) 16時20分

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